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アトリエカドグチ 代表【門口安則さん】
門口安則さん
アトリエカドグチ 代表
沖縄県内の建築・建設業界の情報公開の場として開設した「おきなわ建築web」。
当サイトを開設した背景には、建物を建てたいと思う一般の人たちが建築家や建築家事務所のこと、建設会社のことを“よく知らない”という現状があります。
それはどうしてなんだろう?と考えていくと、そこには情報公開してこなかったというか、情報公開を必要としていなかった業界の姿勢が見えてきました。
そこで、今回は情報公開・情報発信の経験がある永山盛孝さんと門口安則さん、二人の建築家の方にお集まりいただき、お聞きしました。
団設計工房 代表【永山盛孝さん】
永山盛孝さん
団設計工房 代表



〜情報公開・情報発信の必要性は!〜
☆建築家の情報公開は必要?!情報の質は?!
MC> 「おきなわ建築web」は暮らしの一部として欠かせないツールの一つとして確立されようとしているインターネットを使って沖縄県内の建築・建設業界の情報公開をしようというサイトです。その公開された情報を通して、建築を欲している人たちが、理想の建築家と出会い、また、建築関連事務所の方々と出会って、最終的に理想の建築を手にしてほしいというのが目的です。
お二人は、それぞれ何らかのメディアで作品を紹介したり、意見を述べたりなさっていますが、どんな内容のものなのか教えて下さい。


永山> 建築雑誌や新聞に作品を発表させていただいたり、あるいは文章を書かせていただいたりしたことはあります。どちらかというと、それを利用して発信するというより、要求されてやるという形が多かったので、回数としてはそれほど多くはないです。
雑誌でいえば「新建築」とか、「建築ジャーナル」、新建築の「住宅特集」など。そういったものに作品を出させていただきました。新聞では「週刊タイムス住宅新聞(以下、住宅新聞)」などで住宅の作品を発表したり、高齢者の住宅問題などについて連載で約二十数回出させていただいたことがあります。

門口> 今から6年ほど前になりますが、現在のアトリエを30歳で立ち上げました。その時にまず考えたのは、売り込むためにどうするかということ。私がこれまでやってきたのは、それがスタートでした。歴史も人脈もないので、恥も外分も捨ててとりあえず、「売り込まなくちゃいけない!」というのが始まり。
それで「住宅新聞」にまず載せてみたいと考えました。いくつかの戦略を作りました。当時は、このくらいの価格でも、こういうオシャレな住宅が出来るんだよ、こういうコンセプトで住宅が出来ますよということを、沖縄の人たちに売り込まなくちゃと考えていました。
それが、一作品、二作品、三作品と手がけているうちに、偶然にも友人の作品を2件させてもらえた。そこでは、ある程度自由にやらせてもらえて、それを掲載した時には意外と反応が大きかったんです。
当初は、自分を売り込むことで、いずれは向こうの方で僕を発見してくれるだろうと考えていたんです。でも、最近では私の方が逆にそういう考え方をもっている人たちを発見できるようになれた。

MC> そういう考え方をもっている人たちというのは?

門口> 要するに普通の住宅でいいというのではなく、自分のつくった作品に共感する人たちが意外と多いんだなと。これまでの沖縄の建築というのは、「住宅特集」など本土で売れるような雑誌に載っている作品が、本質だといわれたりしていて、われわれ若い人たちもそれが沖縄の建築でなくちゃいけないと思っていた。
私は二十代のときに、本当にそれでいいのかな、住んでいる人たちがその住宅を求めて作らせてもらったのかなと疑問でした。建築家のエゴの部分だけを優先してるような気もしていました。それがそうじゃないということが自分の中で徐々にわかり始めてきたんです。私の場合は「住宅新聞」を見て来たお客様がいたので、沖縄特有の身内であったり親戚や友人だけで依頼してくるお客様が限られているわけでもなかった。全然知らないところから仕事が入ってきたので、逆にやりやすかった。また、ちょうど自分のターニングポイントの時期に、いくつかの作品を発表することができたので、うれしかった。
先輩である永山さんの作品は私の好きな建築作風だったんです。福村俊治さん(県内在住の建築家)や永山さんなど、象設計集団。意外と沖縄の評価というのは、象設計集団の作品でされてる部分が多いような気がしたんです。そうじゃなくて、沖縄の人たちが住みたいような設計、自分でも住んでみたい家を設計したかったので、そうした考えを貫いたことがたまたまうまくいったのかなと思っています。

MC> 門口さんの場合は当初から何かPRしなくてはという気持ちがあったようですが、永山さんの場合はいかがですか?

永山> あまりなかったですね。専門家が見る本土誌に発表することになったのも、編集の方がどこかへ行く途中にたまたま私の家へ寄ったんですよね。それが掲載されて、それからその関係者の誰かが「沖縄の住宅建築の取材に来てるんですけど、永山さんのところいいですか」ということで案内されたようです。それでプレ調査みたいなことをして、編集会議にかけて、載せてもらうことになりました。
私は、これまでの「沖縄の住宅はこうだ!」というのがあまり好きではなかった。例えば屋根に赤瓦をのせないと沖縄的ではないとか、ヒンプンがないと沖縄的ではないということが。それを徹底して避けようとしていました。沖縄的といわれている建築のボキャブラリーを一切使わないでやってみる、というところからスタートしたんです。コンセプトは、典型的な民家とか沖縄に昔からあるものの中に意外とあるのですが、それを現代的な形で表現してみたい、昔の方法、昔の材料を一切使わずにやってみようというところでスタートしてみた。本土の雑誌は専門家しか読みません。地元の人たちは「住宅新聞」とか、最近では都市整備公団で作った「沖縄の新しい住宅のカタチ」という本を見ているんですね。しかも自分で家を建てようという方が見ているんですよ。
確実に少しずつ変わっていくだろうと思うのは、これまで、家族や友人・知人のつながりで建築家と出会い、家づくりを依頼している方が多かったのですが、これからは自分の意思で建築家を選ぶようになるということです。この人なら相性が合いそうだとか、自分はこういう作風が好きだとか、そういったもので選んでいく時代に入ってきてるんじゃないかなと身近に感じます。
 



古くから伝わる沖縄の民家
古くから伝わる沖縄の民家
写真中央にある壁が“ヒンプン”
写真中央にある壁が“ヒンプン”
沖縄本島北部にある今帰仁(なきじん)公民館
沖縄本島北部にある今帰仁(なきじん)公民館。象設計集団の作品


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